難しい本を、誰かに教えてもらうという選択肢
三度目の再読で、また同じ章の途中にいる。もう一度読み直すか、置くか。難しい本を前にしたとき、選択肢はその二つしかないと思われています。三つ目があります。誰かに教えてもらうことです。
難しい本を教えてもらうのは、甘えですか?
違います。教材と教える人をひと組で用意することは、学校教育のあいだ一貫して当然とされてきた形式です。本人が読めるかどうかとは、関係がありません。
小学校から高校までの十二年、教科書だけを渡して独学しろと言われた人はいません。大学にも講義があります。職業訓練にも指導者がつきます。誰もその形式を疑っていません。
ところが十八歳を過ぎ、難しい本を自分で手に取った瞬間から、なぜか一人で読めることになっています。この切り替わりを正当化した人は、いまのところ誰もいません。 教科書が急に易しくなったわけでもありません。むしろ、扱う本の難易度は上がります。
なぜ、大人になると一人で読むことになっているのですか?
教える人がいないからではなく、教わるという選択肢が思い浮かばない構造になっているからです。
学校では、教える人が制度として先に用意されています。探す必要がありません。学校を出ると、その配置が消えます。消えたのは配置であって、必要性ではありません。必要性は残ったまま、供給だけが無くなりました。
もう一つ、思い込みがあります。教える側は権威でなければならない、という思い込みです。学校を思い出せば分かります。数学の教師は数学者ではありません。先に学んだ人です。その本を先に読み解いた人がいれば、成立します。著者である必要も、専門家である必要もありません。
そして、渡す側の負担は小さく、受け取る側の節約は大きい。 既に読み解いた人は、そのコストを払い終えています。渡すために追加で払うものはほとんどありません。一方で受け取る側は、数十時間を節約します。これは施しではなく交換です。だから対価が成立します。
教えてもらうとき、何を用意すればいいですか?
三点を先に書き出します。この三点があるかないかで、同じ時間から得られるものが変わります。
1. 止まった箇所を、ページと行で特定して書きます。 「全体的に難しい」では、相手も手の打ちようがありません。位置が特定されていれば、その場で埋まります。
2. その箇所を、自分がどう理解したかを一文で書きます。 正しいかどうかは考えません。間違っている理解のほうが価値があります。 どこで筋が逸れたかが、そこに現れるからです。
3. 確かめたいことを、答えが「はい/いいえ」になる形にします。 「どういう意味ですか」ではなく「著者はここでAとBを別物として扱っていますか」と書きます。答えが一致するか外れるかで、自分の読みの当否が判定できます。
4. 三点を、話す前に相手に渡します。 口頭で説明すると、説明しているうちに自分の理解が整ってしまい、元の誤りが消えます。書いたものだけが証拠として残ります。
この四つは、今日、手元の本で用意できます。用意してみると、三番目が最も書きにくいことに気づきます。答えが二択になる形に落とせないのは、自分がまだ何を確かめたいのか特定できていないからです。そこが本当の停止地点です。
教えてもらう相手は、どんな人ならいいですか?
その本を先に読み解いた人であれば足ります。著者である必要も、専門家である必要も、名の知られた人である必要もありません。
学校を思い出すと分かります。中学校で数学を教えていた人は、数学者ではありませんでした。それでも役割は十分に果たされていました。必要だったのは権威ではなく、先に通った経路の記憶です。 どこが分かりにくいか、どこを飛ばすと後で困るか。通った人だけが持っている情報です。
条件は三つです。
- その本を最後まで読んでいること。 途中までの人は、後半の省略を埋められません。
- 自分がどこで止まったかを覚えていること。 苦労せずに読めた人より、一度止まった人のほうが渡せるものが多くなります。
- こちらの理解の誤りを、そのまま指摘できること。 遠慮されると、照合そのものが成立しません。
三つを満たす人は、想像しているより多く存在します。難しい本ほど、読み解くのに時間をかけた人が多いからです。 そして渡す側にとって、その情報を渡す負担はほとんどありません。既に払い終えたコストだからです。
用意するだけでは、何が足りませんか?
答え合わせの相手が足りません。三点を書き出す作業は一人でできます。照合だけは、一人ではできません。
書き出した理解が正しいかどうかは、書いた本人には判定できません。判定できるなら、最初から止まっていません。読み違えたまま筋が通った箇所は、自分の側からは何の抵抗もなく通過します。 通過したことにすら気づきません。
その本を先に読み解いた人と突き合わせると、ここが一度で片づきます。難しい本を読み切るために足りていないのは、たいてい時間でも意志でもなく、照合する相手です。
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