古典が読めないのは、あなたが悪いわけではない
一ページ目から、誰に向かって何を言っているのか分からない。訳文は日本語なのに、意味が像を結ばない。古典を開いて数分で閉じた経験は、読書量とほとんど関係なく起こります。
古典の読み方がわからないのは、教養が足りないからですか?
違います。古典が読めない最大の原因は、その本が同時代の読者に向けて書かれており、当時の共有知識が省略されていることです。読み手の教養の量ではありません。
古典は、後世の読者を想定して書かれていません。書かれた時点の論争、そのとき常識だったこと、著者が反対していた相手。これらは当時の読者が持っていたので、本文には書かれません。現代の読者だけが、その部分を持っていません。 持っていないものは、何度読んでも本文からは出てきません。
省略されているのは、具体的に何ですか?
四つです。どれも本文の外側にあり、本文をどれだけ読んでも回収できません。
一つ目は、反論の相手です。 多くの古典は、当時の支配的な考え方に反対して書かれています。反対する対象が特定できないと、主張が「当たり前のこと」に見えたり、逆に「唐突な断言」に見えたりします。輪郭を決めているのは、賛成している内容ではなく、反対している相手です。
二つ目は、宛先です。 誰に読ませるために書かれたのかで、文体も論証の丁寧さも変わります。専門家に向けた文章と、一般の読者に向けた文章では、省略の量が違います。
三つ目は、語の意味のずれです。 同じ語が、当時と現在で違う意味を持っていることがあります。現代語として読めてしまうため、ずれに気づく合図がありません。読めてしまうことが、ここでは危険です。
四つ目は、成立の順序です。 著者の他の著作との前後関係で、その本の位置が変わります。初期の作品を後期の考えで読むと、整合しない箇所が出ます。
四つとも、本文には書かれていません。 だから読み手の力の問題ではありません。
古典を読む前に、何をしておけばいいですか?
本文に入る前に、外側の情報を先に押さえます。三十分ほどで終わります。
1. 成立年と、著者の生没年を書き出します。 何歳のときの著作かが分かります。初期か後期かで、扱いが変わります。
2. 訳者による前書きと訳注を、本文より先に読みます。 ここに反論の相手と当時の文脈が書かれていることが多くあります。あとで読むものだと思って飛ばすと、本文で迷います。
3. その本が反対している考え方を、一文で書き出します。 前書きから拾えます。拾えなければ、拾えなかったと記録します。これが分からないまま本文に入ると、主張の重さが判定できません。
4. 目次を写して、章と章の関係を「だから」「しかし」の二語で埋めます。 埋まらない箇所は、著者の議論の飛躍点か、当時は自明だった接続です。
5. ここまで終えてから、本文の第一章を読みます。 読めない箇所が残っても、それが四つの省略のどれに当たるかを判定できる状態になっています。
この準備をすると、多くの場合、第一章の読みやすさが変わります。変わらなかった場合も、何が足りないかが特定できます。
原典と入門書は、どちらから読むべきですか?
目的で決まります。その古典の主張を知りたいのであれば入門書が早く、その古典を読んだと言える状態になりたいのであれば原典しかありません。
入門書には明確な利点があります。反論の相手、当時の文脈、後世の評価が整理されています。本文の外側にあって原典には書かれていないものが、入門書には書かれています。 ここは代替が効きます。先に押さえておく四点のうち、三点までは入門書から取れます。
一方で、入門書は原典の代わりにはなりません。原典を読む価値は、著者の思考の運び方に触れることにあります。結論だけを取り出すと、その部分が丸ごと落ちます。 落ちたことには気づけません。結論は手元に残るからです。
現実的な順序は、入門書を一冊、原典の前に短時間で通すやり方です。全部を理解する必要はありません。四つの省略のうち、反論の相手と宛先だけを取れば足ります。残りは原典を読みながら埋まります。
避けたほうがいいのは、入門書を何冊も重ねることです。外側の情報は三冊目からほとんど増えません。 増えないまま、原典に入る時期だけが遅れます。
準備をしても、確かめられないことは何ですか?
自分の解釈が的を射ているかどうかです。ここだけは、準備では埋まりません。
古典には、答えが一意に決まらない箇所が必ず残ります。 文脈を押さえた上で読んでも、解釈は複数成り立ちます。自分の解釈が読みとして成立しているのか、単なる読み違えなのか。この判定に必要な基準は、自分の中にはありません。
長く読まれてきた本ほど、先に読み解いた人が多く存在します。その人の読みと自分の読みを並べると、ずれが一度で見えます。文脈を押さえる作業は一人でできます。解釈の照合だけが、一人ではできません。
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